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名著「学問のすすめ」(福沢諭吉)の読書メモ

Googleが6か月で学位修了と同じ価値をもつ修了書を獲得できるシステムを発表したので、学問に励めていない大学生は淘汰されるのではないかと考えました。また、自分が学生団体の代表として、将来に不安を抱えている大学生に勉強することをすすめるという立場になったので、満を持して福沢諭吉大先生に教えを乞うことにしました。

全部読むのは苦労すると思ったのでちょくちょく飛ばして読みました。最後に思ったことを書きました。

初編

この世の人間たちの有様(貧富強弱)の違いは勉と不勉によってのみもたらされるものである。政府が圧制してくるのは政府のせいではなく、学問をしない愚民が自ら招いた惨事である。

実践的な学問に勤めなさい。また、目的をもって学問に励みなさい。

二編

人は平等である。権理通義(生きる権利とか自由の権利とか人間が基本的に持っている権利のこと)はどんな職業の人でも貧富の差があろうとも同じ。

三編

貧富強弱の差は勉と不勉との差によってのみ現れるものである。

国(組織)が独立し、権利を広げていくことには、内部の人間が独立する気力を持たなければならない。

独立する気力がない人間が内部にいるとどうなるか

①独立の気力がない人は国を思いやることがない

②内部の独立の地位を持たない物は外部で他の人と関わる場合も独立した権利を広げることはできない

③独立する気力がない人は人に依頼して悪事を働く

八編

人には身体、知恵、情欲、至誠の本心、意思がある。身体は外部と接しており、実際に自分の望むことを実現する。知恵はモノの道理を発明し、事を成す見込みを持たせる。情欲は心身の働きを起こし、これを満足させることで幸福を成す。人の働きは情欲の催促を受けて起こるものである。至誠の本心は情欲を制し、正しくしてとどまるところを定める。意思は事を成すときの志である。世の中の善い事や悪い事は全て人の意思によって生じる。

人間はこの5つの性質の力を自由自在に取り扱い、一身の独立を成すものである。

九編

人間の心身の働きは二様に分かれる。一つ目は衣食住の安楽を成すもの。二つ目は孤独を好まず、集団に入ろうする過程で成すもの。

十四編

世話という字には二つの意味がある。保護と命令である。保護とは人のそばにいて防ぎ守ること、または財物を与え時間を費やし、利益や面目を失わせないようにすること。命令は人のために考えて、その人のためになることを指図し、良くないことには意見をいい、気を使って忠告すること。この二つがあると世の中は丸く治まる。

十五編

学問は信じるものと信じないものの区別を付けるものである。間違ったものを信じれば失うものが多い。

十六編

議論(心の中にあることを言葉にすること)をする人は多いけど、行動する人が少ない。人間は議論と行動の平均を保つことが重要。

十七章

人望は学問によって身につく。また表情を豊かにすることや衣服や飲食も飾ること。

思ったこと

学生は自分の可能性を過小評価している人が多い。つまり信じるに値する「自分の可能性」を信じていないので多くのものを失っている。才能とかにはよらない。学問に励んだかそうでないかの違いでしかない。多くの人はもともとの才能が違うという偽の説を信じてしまう。自分は真偽を判断する力を教養と言っています。

当然、若い学生は教養が不足しており、信じるべきものとそうでないもののの区別ができないことが多い。そのため社会が信じるべきものを信じやすい世の中にすればよい。また信じるべきでないものを信じないような仕組みを整える必要がある。

現在の社会にある信じなくてよいものだが、信じられてしまっているものの一つに、偏差値があると思う。それを信じてしまい、自分の可能性にフタをする人が多いのではないか。偏差値制を排除することでもっと正しいものを信じれるようになるのではないか。

あとは手短に信じることを増やす方法としては行動によって得られた経験だと思う。また行動する人はブルーオーシャンなので勝てる可能性が高い。そーゆーこともあって行動したほうがいいと思う。学生は失敗したって保護されてるから、失うものは何もない。逆に何もしないでただただ時間を失っていくのがやばい。

とはいっても一歩目を踏み出せる学生が少ないのが今の問題点。起点は情欲なんだけど、各々で情欲に違いがあり火をつけるのが難しい。さらにいざ行動するときに目的?問題?が抽象的過ぎてなにからすればいいかわからない状態に陥っている。自分はここに対する世話役になるのがいいのかな。

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