かけがえのないご飯
今日は真面目な話はせずに普段から自分が思っている日常の1トピックを取り上げて記事を書いてみようと思いました。普段の自分の言葉遣いになるので、本来の日本語の意味とは乖離するので、お手数ですがニュアンスで読んでください。
まずこれ間違いないと思うんですが、
奢ってもらうご飯ってかけがえないじゃないですか。
トピックを見て感動系の話だと思った人、ごめんなさい。
話を戻すと、どうにかそのかけがえなさを伝えたいんだけど、伝え切らないって人も実は多いんじゃないかなって思ってます。ありがとうございますってのも形式的には重要なんだけど、ご飯の恩はそのフィールドで返し切るというか、時間の経過とともに感情も美味しい記憶も無くなってしまうので、ご飯中に全感情をこめて伝えることが一番なんじゃないかなって思います。
ただ、難しいのは美味しいっていう感情は美味しいっていう言葉だけでは伝わらないんですよ。
だけど、自分を振り返ってみると、多分無意識にできていたんじゃないかなって思ったんで今日はその方法を紹介しようと思いました。
全力で美味しいを伝えるには
まず、お腹は全力ですかせておく。米一粒を口に含むイメージをしたら唾液がジュワッと出てくる状態まで空かす。そしてめっちゃ勢いよく食べる。そして、味を感じながら、自分の味の歴史に問い合わせる。今までの味たちでコンペティションを開くのが理想。数々の記憶に残るほどの優秀な味たちとバチバチに戦いを繰り広げさせたのち、一言。
「これは、優勝。」
自分が後輩をご飯に連れて行って、こういう感じの食レポで聞くようなコメントじゃなく、自分の言葉で表現してくれて、かつすごい満足してくれたんだなってのが伝わってきたらすごく嬉しいし、「また行こうか」ってなると思った。
他にも自分が使うフレーズ
「一生食える」
物理的には不可能だが、自分の精神面では一生食べれると錯覚するくらい感動した時のセリフ。この言葉の裏には、食事という行為に胃袋という物理的な制約があるという運命を恨んでいる意図も含む。
「歴史が動いた」
味の歴史に問い合わせた結果、類を見ないほどの衝撃に見舞われた時や、人生において到達し得ないと思っていたレベルの味を知ってしまった時のセリフ。このセリフが出る場合は、味だけに起因しないことが多い。(自分のお腹が死ぬほど減っている時とか、ラーメン自体めちゃ久しぶりに食べるとか)
「人生」
自分の人生は、この味を知るためのものだったんだと感じたときに飛び出す言葉。幸福の絶頂期。個人的には2010年のワールドカップの決勝(オランダ対スペイン)の延長戦で決勝ゴールを決めた瞬間のイニエスタの状態くらいだと思ってる。(ちなみに結構人生の出現回数は高い。私は幸せ者です。)
その他小技テクニック
味のコンペティションで優勝するのが難しそうだったらカテゴリに分けたコンペティションをしてあげるのがよかったりする。値段なのか、食事の種類なのか、過去に奢ってもらったものの中なのか。
最後に
私は今年度からやっと新卒になったので先輩にご飯を奢ってもらえるために(今はコロナでなかなか外食できないが)本当に美味しいということをできるかぎり伝えれるようになろうと思った。